合気道とは

 合気道は自然の動きに合わせ、力の競り合いをせず技を施すのが特徴の武道です。
 逆らう相手に無理に技を施さず、相手の力を自分の有利になるように誘導し技を施します。そのため老若男女、体格の大小にかかわらず誰にでもできる武道です。

 また、合気道では、試合や乱取り形式の稽古を行いません。
 お互いに「仕手」(技をかける者)「受け」(技をかけられる者)に分かれ、「形」を反復する事によって技を身に付け、実際に役立つように稽古します。
 ですから、勝負にこだわり、優越感を抱いたり、敗北感におそわれる事なく、澄んだ気持ちで相手と和して技の上達を図る事が出来ます。

 このことから、合気道は「和の武道」と呼ばれています。


合気道の歴史


 合気道は、『大東流合気柔術』を母体に作られた我が国古来の武道です。
 大東流合気柔術は今から九百年程前、源義家の弟、新羅三郎義光が創始したと伝えられ、甲斐武田家が秘伝の武芸として継承し、1574年、武田国次が会津にくだってからは、「会津藩御止め技」として門外不出のまま代々伝えられてきました。
 そのため、末孫の武田惣角先生が明治時代になって初めて世に公開されるまで、一般にはその存在すら知られていませんでした。

 合気道という名称は、武田惣角先生の門人植芝盛平先生が、大東流に各流各派の武術の精髄を取り入れ、それに独自の工夫を加えて昭和期に確立されたものです。

 植芝盛平先生の高弟であった塩田剛三先生は、戦後独立して「合気道養神館」を立ち上げました。
 養神館は、実戦合気道の総本山と呼ばれ、警視庁に合気道の指導を行っているほか、皇族をはじめとする各国の要人や、元プロボクシング世界ヘヴィ級統一王者 マイク・タイソン等の著名格闘家が訪れて交流を重ねてきました。
 塩田館長は、道場での指導はもちろん数々のテレビ出演や講演等を通じて合気道の普及に尽力されてきましたが、平成6年惜しまれつつご逝去されました。

 合気道錬身会千田最高師範は、昭和46年から故塩田剛三館長の内弟子として、最も長く養神館本部道場に在籍し、その技術と志を最も色濃く受け継いでこられました。
 技術の高さはもちろん、その指導力、技術解説の奥行きの深さには定評があり、長年にわたり、養神館本部道場で、一般会員をはじめ大学生、専修生、内弟子などに幅広く指導を担当してこられました。
  塩田剛三館長逝去後、本部道場長として養神館を支え、また昭和63年から警視庁教養課嘱託師範として、20年間警察職員の指導にあたるなど、養神館本部指導部の中心的存在として活躍されてきました。

 千田最高師範は平成19年に養神館を退職されましたが、師範を慕う多くの会員の声に応え、合気道錬身会最高師範として後進の指導に当たられるとともに、達人塩田剛三の技の継承に力を注ぎ、国内外を問わず演武や講習会に招かれるなど世界的に活躍し、合気道を世に広めています。